大判例

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東京地方裁判所 昭和53年(ワ)11636号 判決

原告

大八木房栄

右訴訟代理人

稲田輝顕

外一名

被告

株式会社横浜銀行

右代表者

吉国二郎

右訴訟代理人

小川善吉

外二名

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実《省略》

理由

一事実関係

1  原告の出捐

〈証拠〉によれば、次の事実を認めることができ、この認定を覆えすに足りる証拠はない。

原告は、かねて第一勧業銀行数寄屋橋支店に、原告、江藤テル、江藤房江名義で預金を有していたが、昭和五二年二月ころこれを解約し、日興証券吉祥寺支店で、原告、江藤政治、大八木幸子、大八木弘、江藤照、江藤誠子名義で国債電力債等を購入保有していた。ところが、同年八月株式会社綾小路が国税局の査察を受け、同社の取締役であり実質上の経営者である原告個人に査察が及んだため、右有価証券を売却しその売却金を隠そうとして同年九月五日これを売却し、同月六日その売却代金二八一一万二六七八円を受けとり、同月一四日右売却金のうち金二五〇〇万円を同社の代表取締役である訴外杉浦勝利に交付し、原告が従来取引をしていた銀行以外の金融機関に架空名義で預金するよう依頼した。

2  本件定期預金がされた経緯

昭和五二年九月一四日南コハク名義で本件通知預金がされたこと、同年一〇月三一日訴外杉浦名義で本件定期預金がされたこと及び同日訴外明商電子が被告より融資を受けるに際し訴外杉浦が保証をしたことは当事者間に争いがなく、〈証拠〉を総合すれば、次の事実を認めることができ、この認定に反する証人杉浦勝利、同鈴木郁之助の各証言の各部分は前記各証拠と比較して信用することができず、他にこの認定を左右するに足りる証拠はない。

(一)  訴外杉浦は、昭和五二年九月一四日、赤坂東急ホテル内の訴外岩本道成の室において、かねて金員の貸与を懇請されていた訴外南に対し、原告より預金するよう依頼され預つていた金二五〇〇万円のうち金五〇〇万円に自己所有の金四五万円を加えた金五四五万円を貸与したのち、別に不動産を売却した金員が二〇〇〇万円あるのでこれを預金するのに訴外南の知り合いの銀行を紹介してほしい旨依頼した。そこで、訴外南は、まず懇意にしていた神田信用金庫飯田橋支店長に電話したが不在であつたので、旧知の被告銀行青山支店長に電話したうえで、訴外杉浦を伴い同支店を訪れた。

(二)  同支店では、次長の細合義次が応接にあたつたところ、訴外杉浦は、株式会社綾小路代表取締役等の名刺を出してあいさつしたのち、不動産を処分した金員があるが、綾小路に対し国税局の査察が行われているので架空名義で預金したい旨を申し入れた。これに対し、細合次長は、かねてから銀行協会等から架空名義預金を受け入れないように指導されているので架空名義では預ることはできないからその話はなかつたことにしたい旨を述べたところ、訴外杉浦は、更に訴外南と相談のうえ訴外南の通称である「南コハク」名義で預金したい旨を細合次長に申し入れた。そこで、細合次長は、訴外杉浦が自己所有の金員を「南コハク」名義で預金するものと了解して、これを承諾し、訴外杉浦は、訴外南から借り受けた「由良」の印鑑を用い、同日、被告銀行青山支店に「南コハク」名義で、一口五〇〇万円あてのもの四口合計二〇〇〇万円の本件通知預金をした。そして、右預金の際に使用した印鑑及び被告青山支店が発行した預金通帳は、訴外杉浦が持ち帰つた。

(三)  これよりさき、被告銀行青山支店では支店長代理の中山多昌らが訴外明商電子との新規の取引を開拓する目的で、同年八月に二回ほど同社を訪問していたが、まだ取引を開始するまでに至つていなかつた。

(四)  ところが、同年一〇月二九日(土曜日)、訴外杉浦、訴外明商電子の鈴木社長及び鈴木経理部長の三名が被告青山支店を訪れた。そして、応待に出た飯岡支店長及び中山支店長代理に対し、訴外杉浦は、訴外明商電子に米国の取引先からの無線電話機の輸出代金が近く入ることになつているが、同月末日に支払期限の到来する支払手形決済にあてるため金二〇〇〇万円の融資を同社に対してほしい旨申し入れ、その際同社の鈴木社長が連帯保証をするほか訴外杉浦自身も連帯保証をし更に同人所有の新日鉄の株式二〇万株を担保として提供する旨申し出た(〈証拠〉によれば、鈴木社長は訴外杉浦が代表取締役として経営にあたつている訴外株式会社ケイ・エス・エイジェンシーの取締役をしていたことが認められ、訴外杉浦と鈴木社長は親密な間柄であつたことがうかがわれる。)。被告銀行側では、鈴木社長らの説明を聞いたうえ、一応融資の方向で検討する旨を約した。

(五)  同月三一日、訴外杉銅、鈴木社長及び鈴木経理部長の三名が、再び被告青山支店を訪れた。しかし、その際訴外杉浦が持参したのは新日鉄の株式の現場(株券)ではなく日興証券吉祥寺支店発行の株券の預り証であつたので、飯岡支店長は中山に命じて右支店に確認させたところ、預り証にかかる株券は四、五日後でないと現物化することができないことが判明した。そこで被告銀行側はこのままでは融資を実行することはできない旨を鈴木社長らに伝えたところ、訴外杉浦より、融資が実行されないと訴外明商電子が行きづまるおそれがあるので何とか融資を実現してほしい旨強い要請がされた。飯岡支店長は大口預金者であると信じていた訴外杉浦からのたつての依頼でもあるので、同訴外人に対し、早急に右株式の現物の担保差入れを実行するように求めたうえ、同訴外人が連帯保証をするとともに「南コハク」名義で預金している本件通知預金を解約しあらためて杉浦名義の定期預金とし新日鉄の株式の現物に担保が設定されるまでの間のつなぎの担保としての機能を持たせるのであれば融資を考慮してもよい旨を告げたところ、訴外杉浦は、これを承諾し(原告本人尋問の結果によれば、このころには国税局の査察の対象は専ら原告本人に向けられ、訴外杉浦には査察が及ばない状況になつていたものと認められるので、訴外杉浦としては杉浦名義としても不都合は生じないと考えたものと推認される。)、直ちに、本件通知預金通帳と右預金の際使用した印鑑を取りに帰り、これを同支店に持参提出し(なお、原告本人尋問の結果によれば、本件定期預金がされたころ、原告は訴外杉浦を金銭的にも信用することができると考えていたことが認められ、また、前記認定のように訴外明商電子の融資を被告銀行に依頼するにあたり訴外杉浦が新日鉄の株券(原告本人尋問の結果によるとこの株券は原告所有のものであつたと認められる。)を担保に提供する旨を申し出かつ日興証券吉祥寺支店の預り証を持参した事実に照らすと、本件定期預金がされた当時訴外杉浦は「南コハク」名義の本件通知預金通帳及びそれに使用される印鑑を原告のもとからでも自由に持ち出せる立場にあつたものと推認される。)、本件通知預金を解約し(〈証拠〉によれば、この解約手続は、杉浦が本件通知預金通帳及び印鑑を取りに帰つた間に事実上進められていたものと認められる。)、その払戻金をもつて本件定期預金がされた。そこで、被告銀行は、訴外杉浦がその所有の金員をもつて本件定期預金をしたものと信じ、これを見合いとして、訴外明商電子に対し訴外杉浦及び鈴木社長を連帯保証人とし返済期日を同年一一月三〇日とする金二〇〇〇万円の貸付を行つた。

(六)  その後、被告の催促にもかかわらず訴外杉浦は、被告に対し、新日鉄の株式の担保提供をせず、更に、訴外明商電子は、期限の一一月三〇日になつても貸付金の返済をしなかつた。被告は、再三にわたり、訴外明商電子及び訴外杉浦に債務の履行をするよう求めたが、いずれもこれに応じなかつたので、同月一二月二八日、訴外杉浦に対し、口頭で、杉浦に対する保証債権と本件定期預金債権とを相殺する旨の意思表示をした。

二本件定期預金の預金者

1 前記認定の一の1の事実によれば、本件通知預金の出捐者は原告と認めるべきものであり、したがつて、右通知預金の払戻金によつてされた本件定期預金の出捐者も原告であるというべきであるが、前記一の2の事実によれば、本件定期預金の預け入れ行為者及び名義人は訴外杉浦であつて、このような本件定期預金の預金者をだれと認めるべきかが問題となる。

2 一般に契約理論からいえば、出捐者が預け入れ行為者に対し金銭を交付して預金を依頼した場合であつても、預け入れ行為者が自己名義を表示して金融機関と預金契約を締結したときは、名義人である預け入れ行為者をもつて預金者とすべきが本来である。しかし、銀行預金契約は定型的大量に行われる取引であり預金が行われるに際し、銀行は、預金名義人が実在するかどうか、預け入れ行為者が預金名義人本人かどうかについて格別の調査を行わず、預け入れ行為者が申し出た名義で預金を受け入れ、払戻しに際しても、預金証書と届出印を調査確認し誤りがなければその持参者に払い戻すのが通常の取扱いであることは、顕著な事実である。したがつて、このような銀行の通常の取扱いのもとでは、一般に、銀行は、無記名定期預金の場合に限らず記名式定期預金の場合にあつても、真の預金者がだれであるかについて格別の関心と利害関係を有するものではないと考えられるから、預け入れ行為者のした表示に対する銀行の信頼を保護する利益はなく、出捐者の利益保護の観点から、預け入れ行為者が出捐者の金員を横領し自己の預金として預け入れた等特別の事情がある場合を除いては出捐者を預金者と認めるのが相当である。しかしながら、出捐者を預金者と認定すべき理由が、前述のような点にあることにかんがみれば、預け入れ行為者が預金者であることについて銀行が格別の利害関係を有するため特に預け入れ行為者が預金名義人となつて預金契約が締結され、しかも、銀行がその預け入れ金が預け入れ行為者以外の出捐にかかるものであることを知らず預け入れ行為者が預金者であると信ずるについて過失がない等、預け入れ行為者の表示に対する銀行の信頼を保護すべき特段の事情がある場合には、預金名義人である預け入れ行為者をもつて預金者と認めるのが相当である。

3  そこで、右の見地に立つて、以下、本件について預金者がだれであるかについて検討する。

前記認定の事実によれば、訴外杉浦は、訴外明商電子に対し融資を受けさせるため、まず、新日鉄の株式を訴外明商電子の借受金が返済されるまでの間原告の支配を排除して(前述のように訴外杉浦が担保に供しようとした新日鉄の株式は原告の所有に属するものであつたと認められる。)自己を権利者として担保に供しようとし、次いで、右株式の現物が調達されるまでの間右株式の担保に代わる担保的機能をもたせるため本件通知預金の解約払戻金に対する原告の支配を排除し(前記認定事実によれば、原告は訴外杉浦に金銭を交付して預金を依頼する際他人名義で預金すること自体はこれを承認していたものと認められるが、原告本人尋問の結果によれば、その預金を他人の債権の担保に供し又は担保的機能をもたせるため預金をすることまで承認していたものとは認められない。)、自己の預金として本件定期預金の預け入れ行為をしたものと解さざるをえない(杉浦としては、右融資が訴外明商電子の無線電話機の輸出代金が入るまでの短期間のものであるので、新日鉄の株式を担保に供し又は本件定期預金に担保的機能をもたせても原告に知られることはないと考えたものと推認される。)。

更に、本件定期預金は、もともと、訴外明商電子が融資を受けるに際して、訴外杉浦が新日鉄の株式をその担保として提供するとの約束であつたところ、同人が株式の預り証しか持参しなかつたため、融資の契約の成立が危ぶまれるに至つたとき、訴外杉浦の強い要請に応ずるため、被告銀行側から名義は「南コハク」であつたが訴外杉浦が預金者であると信じていた本件通知預金を解約して連帯保証人となるべき訴外杉浦名義の定期預金にして但保的機能をもたせたい旨の申出に基づき特に同訴外人により同訴外人名義で預け入れられたものであつて、本件定期預金の預金者について被告銀行としては格別の関心と利害関係を有していたものというべきであり、しかも、右被告銀行側の突然の申出を受けて、直ちに杉浦が本件通知預金通帳と印鑑を持参提出したことからみると、被告銀行が本件定期預金の原資となつた本件通知預金の払い戻し金が訴外杉浦以外の者に属することを知らず訴外杉浦を本件定期預金の預金者と信じたことに過失はなかつたものというべきであつて、本件定期預金については預け入れ行為者の表示に対する被告銀行の信頼を保護すべき特段の事情があるものといわなければならない。

右のように、訴外杉浦が自己の預金として預金したものと解さざるをえない特別の事情があり、更に被告銀行の信頼を保護すべき特段の事情が認められる本件のもとにあつては、本件定期預金者は、預金名義人であり預け入れ行為を行つた訴外杉浦勝利であると認めるのが相当である。

三結論

そうすると、本件定期預金の預金者が原告であることを前提とする原告の本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がない(仮に、本件定期預金の預金者を出捐者である原告であると認めるべきものとしても、前記認定のように、本件定期預金債権は訴外杉浦に対する保証債権と相殺されたところ、前記認定の事実によれば、被告銀行は本件定期預金の出捐者が原告であることを知らずかつ本件定期預金の預金者が訴外杉浦であると信ずるについて過失がなかつたものというべきであるから(善意・無過失の認定時期については本件定期預金の預金時及び貸付時を基準とすべきものと考えられる。)、民法四七八条の類推適用により右相殺をもつて原告に対抗することができるものと解すべきであつて、いずれにしても、原告の請求は、理由がないことに帰する。)。

よつて、原告の請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(越山安久)

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